金城次郎 抱瓶 魚文 人間国宝 沖縄 琉球 壺屋焼 読谷村

買取品目
和食器
ブランド
その他ブランド
シリーズ
金城次郎 抱瓶
参考買取価格
30,000
地域
  • 東京都
  • 中野区
買取方法
出張買取
ご利用満足度
★★★★★(5)

※買い取り価格は当日の価格であり、その価格を保証するものではありませんので予め御了承下さい。
※状態や付属品の有無、買い取り方法などによって価格が変動いたします。

お客様の声

家の整理をしてたらいらない沖縄土産があったので中野駅南口にあるお董姫TOKYOさんにお願いしました。ただのお土産だと思ってたらお宝だったことがわかり頼んで良かったです。他の花瓶や花入なども一緒に買取してもらいました。やはりリサイクルショップとは違い骨董品扱ってるお董姫TOKYOさんは細かく教えてくれて良かったです。ありがとうございました。

スタッフより

父は、大里村出身、母は壺屋出身。 1925年、13歳で陶工として新垣栄徳に師事し、この年に民藝運動を展開していた濱田庄司と出会った。民藝運動の中心人物である柳宗悦の影響を強く受け、製作に反映させていった。太平洋戦争中は徴兵により碍子などの製作を軍からの指示で作陶したりしていた。1946年に壺屋に自らの工房を開いた。
日常的な暮らしの中の日用品に「用の美」を見出そうという民藝運動に作品は合致し、数々の受賞をして名前を馳せていった。 1972年の沖縄返還の年に、都市化により登り窯から出る煙の公害問題で登窯か使えなくなり活動拠点を読谷村に移した。 1985年に沖縄県で初の重要無形文化財技能保持者(人間国宝)に選ばれた。 2004年に心筋梗塞のため死去。
作品は、素朴な作風の壺屋焼(上焼)で、壺、食器、酒器などの日用雑器が多く、また、魚や海老をモチーフにしたものが多い。笑っているように見える魚(笑う魚)などユーモラスな「魚紋」は金城次郎作品を代表する絵柄である。
3人の子はすべて陶芸家で[3]、一族には壺屋焼陶芸家が多く、次郎の弟である敏雄の血筋を含め「金城一門」と呼ばれる。